思ったことpathに書いてたら長文になってしまったのでブログ始めた

最近思うのは、


"意識高くなくて良い"ってこと




この辺の事は昔から考えてたし、このことについて、友人と話したこともあったけど、なかなか実感レベルで意識高いから抜け出せてない自分がいた



ほんまら"意識高い"のは問題じゃなくて、"地に足がついていない"意識高い、

"実力が全く伴っていない"意識高い

てことが問題



・じゃあなぜ"意識高く"なってしまうのか?


→虚栄心、身の丈に合わないプライド



※ことば

虚栄心:自分を実質以上に見せようと、みえを張りたがる心。



結局これに辿り着いた。



人は自分をよく見せたり、自分に存在価値を求めたりする

また、憧れや理想の人は人それぞれ持ってたりすると思うし、あの人のように世間から認められたいとか、たぶん誰もが承認欲求を持ってる。


あるとき、本当の自分の実力を顧みず、それらの人と同じ土俵に立っているかのように錯覚してしまう場合がある・・・



なぜ錯覚してしまうのか?

ー 成功体験や過大評価が自分を顧みる精度を鈍らせ、錯覚を起こす。



初めに、

"自信を持つこと"と"傲慢になること"は全くの別物だということを断わっておく。



過去に周りにチヤホヤされ過大評価されたり、成功体験があり、傲慢な気持ちが生まれてしまうと、自分への認識がブレてしまう。 


傲慢なときていうのは、精神が錯乱状態にあるも同然だね



要するに本当の大きさの自分ではない虚像を自分だと思ってしまうんだろう。




これが前出の"虚栄心"へと繋がっている。






・無駄に意識高いことの代償



自らが意識高いなと思った事例は



事例①

メディアを通じて、政治家や官僚でもないくせに腹立つほど国を憂いたり論じたり意識高く政治に興味を持ってること



残るもの↓


世界情勢への理解

自分の無力感

日本の閉塞感

人や社会に対する不信感

(メディアの印象操作も関係あるが今回触れない)


上記のように負の感情がほとんどだ。

世界情勢の知識は何かと役に立つと思うけど、それ以外は意味ないよりも、むしろ精神的によくない。


そもそも自らの精神削る必要はないし、政治てのは僕みたいにすぐ感情的になる未熟な人ではなく、大人が参加することなんだと思った。

だから僕は最近、冷静な記事や番組、コメンテーターを除き、テレビの政治報道や政治記事を見ないようにしているし、嫌いな新聞社のフォローを外した

(報道はメディアが作った政治ごっこに過ぎないものが多いし・・)




 事例②周りから褒められようとか優等生でいようと周りを気にして自らを意識高く作り込むこと



残るもの


自らを欺き続けて自分を見失う



そもそも

自らの本質的な思いの先に高みを目指すのと

自らを欺き無理して意識高いのは全くの別物だよね


また自らを欺き続けてると本当に自信をなくしてしまう。






・何より大事なのは・・・


"自分の心の声をちゃんと聞くこと"

"心の声聞いて、行動に移す勇気を持つこと"

だと思った。


ちなみに僕の大好きな能年怜奈ちゃんが雑誌でこんな事を言っていました。


『人間として一番大事なことな何だと思いますか?』

→能年ちゃん『好きなものを好きだってちゃんと受け入れること。』



ちなみにHey!Say!JUMP!のYour Seedという曲にこんな歌詞があります。

『好きなもの好きと言える勇気だけは手放したらだめだよ』





結局周りはどうでもいい

気にする周りは家族、親友、恋人、尊敬してる人くらいで十分


あと

こうでなければならない!とか

これこそがエリート!みたいな意識高い風潮は無視











心の声が聞こえなくなってからでは遅い。。。



だから自分より若い後輩や子どもらには外見はなんでもええから、心は純粋であってほしいと今やから切に感じるし、やりたいことやれ!て感じる(発言がおっさんw)



前、小藪が言ってたけど、夢は叶わん。(正論)


けど


自分のやりたいことに若いうちに誠実に向かっていけば、

夢叶わず多くの人が歩んでいる義務に生きる人生を歩まなくて済むとも思う。



現実と理想の間で悩み進み続けないとあかんのかもしれん・・