いろいろ語る
イチロー「石井一久は芸能人みたい。行こうと言われるのでこっちは準備してるのに、後になって行く気がないのがわかる」
「パワーとか勘違いして、体を大きくすることは絶対に駄目
体はいろんなセンサーでここが危ないっていうポイントを発してくれるけど
それを教えてくれない体にしてしまう」
「ケガにはちゃんと理由があるけれど、それを野球の一部だと解釈してしまう。
でもそうじゃない、防ぎ方は必ずある」
このあとに
自分は一生懸命やったんだから、怪我はしょうがないよねみたい安易な発想があったらやっていけないです。この世界では。
みたいのこと言ってた
これ野球の話なんやけど、すごい自分の生き方とかに知恵になる話だと思った
まだまだ甘いな自分は。と思った
最高の準備をするの大事やね
あと希望とか目標、情熱持ち続けるのが大事
ふと思い出したのが、ミスチルのライブの話
大好きな親友がいて
彼も僕もミスチルのファンやって、なんか一緒にいて楽しめたらいいなてすごく思ってた
自分が行きたいてのもあったんやけども、親友はそういうの見るとすごい喜んでキラキラした目をするんよね
なんかそれ見たくなったてのも結構あって
だからもはや自分では親友>ミスチルみたいなことになってたと思うけど、
それでいろいろチケット取る方法調べてミスチルファンクラブ入って抽選応募したら当たったんよね
当たっただけでめちゃ嬉しかったんやけども
それが当日会場行ったらアリーナの最前列やって桜井さん間近で二人とも興奮状態でほんとに喜んで興奮してくれててめちゃ嬉しかったの覚えてる。
こういう情熱大事やなぁと
人を喜ばせたいて気持ち
僕はたぶん本当に情熱あったし、やるべきことやったから、神が導いてくれて、あんな運よすぎるチケット当たったやと思ってる
昔はすごい苦い思い出があって、自分のこと疫病神やと思ってて、
本当に運がなかった。と当時は解釈してた。
小学生時代の夏祭りにビンゴゲームが毎年ある。賞品は折りたたみ自転車や家電製品、ゲームなどなど。
おもちゃとか欲しいものは買ってくれる家計ではなかったので、当時の僕は単純に物に飢えてた
でも父親はそのお祭りではビンゴカードを何枚か買ってくれた
毎年毎年父親が買ってくれるんやけど、結局小学生中学年と当たったことがなかった
正直小学生の時とかは当たらんくてよく泣いてた
それからもう一つ悔しい思い出があって
それはポケモン金・銀が発売されたころの話
当時ポケモンが流行っていて
ポケモン金・銀発売前から人気がめちゃめちゃ高かった
発売が延期されたかなんかだったと思う確か
ようやく発売することにはなったが在庫が少なかったらしい
僕は発売当日、朝早く起きて新聞のチラシを見たらジャスコのチラシに品薄のために先着限定ということだった
母親がジャスコまで付いてくれて開店前から並んで整理券をもらったのを覚えてる
(なんだか僕のわがままを叶えるために付いてきてくれて、優しい母だなぁとしみじみ今になって思います。)
僕の遊んでた友達たちが金がいいと言っていたので、僕も金が絶対に欲しかった
でも夢叶わず金が先に売り切れ、銀はまだあったそうだが、頑固な僕は銀を買わず二週間後に入荷する金を予約することになった。
その日、金を手に入れられなかった僕は後日友達らと遊ぶんだが
その友達らは皆、金とか銀をGETしてるんよね
俺だけまだレッドみたいな。
友達らは母親同士も仲が良くて、ローソンで予約できるという情報を知ってて、予約してたみたい。
だから当時の友達たちはなんの苦労もせず手に入れてたわけや
これがきっかけなのか?ちょっと傷ついた思い出があって
一番仲良いと思ってた町内の一人の友達と遊ぶ約束をしてたんやけども、当日全く連絡つかんくなって
ひたすら消息を探したら
他の友達の家に居て
そこにはサッカー部の子たちが集結しててみんなポケモンをやっているという状況やった
要するにはみごにされたという初めての経験をしたわけです
そこで俺もすぐ帰ったらよかったのに、
やっぱり友達おらんのは寂しいから
そこに入って行ったわけやな
たぶん5,6人おったと思うけども、
俺が来たことにより部屋が狭くなったと言われて、リビングに行くことになるんよね。
俺もう悲しすぎて、浮きすぎてて号泣しながらポケモンレッドやり続けるみたいなね笑
リビングやから友達のおばちゃんもおったんやけども、俺プライドがあっておばちゃんには涙見せたくなくて見えないようにしてた笑
が今思えば絶対バレてた笑
これがだいたい小2くらいの話
小6の時は野球部のキャプテンやったんやけども、同期がたった2人だけやった
僕は五年生の終わり頃に野球を始めるもキャプテン候補が辞めておれが半強制的にキャプテンをやらされることになった。
ぼくはほんとに嫌だった。
同期2人で全然上手くなくて試合は負けまくりやし、野球が楽しくなかったし、キャプテンやから怒られるばかりだし。週4回の練習や試合はひたすらいやいややってた。
小6の一年間は本当に地獄のように長かったのを覚えてる
同期は仲良くないし、なんかキャプテン助けようとかチーム助けようみたいな意識がなくて、ほんま孤独状態やった
でも一つ後輩に土日の昼休憩にいつも一緒に弁当食べてくれるやつがいてほんとに支えられてたと思う
(結局これのお礼してないから、またしたいと思う)
でも仲良くなるために遊んだりもしたんやけどもこれがまた楽しくない・・そもそも波長が合わんかったみたい
でも当時一人のコーチが俺をいつも励ましてくれた
お前は卒業しても一生このチームのキャプテンやぞ。って
当時は意味もわからなくて、ネガティブだったけども
その後意味がわかった。
でも当時は精神状態も悪かったと思う
だから当時はピリピリしてたんかな?
学校のクラスでも浮き出すんよね笑
クラスの皆はふわふわ楽しそうで俺はなんかキャプテンという重いものを背負っててみたいな笑
少なくとも当時はすごいプレッシャーだった
なんかちょくちょく嫌われてたらしいですねー
小6当時家にあった農薬飲んだら、死ねるかな?とかひたすら自殺すること考えてたよ笑
でも結局これらの
ビンゴゲーム当たらない・ポケモン金・キャプテン悲劇事件から学べたことはたくさんあって
・ビンゴゲームのような運ではなく実力で勝負しろ
・自分と考え方・知能レベル・家庭環境など波長の合う人がいなかった(周りボンボンばっかやった)けど、その後高校で同じ波長を持った最高の仲間たちに出会った→人生わからんもん
・ママ友集団の子どもは習い事とかさせられまくってるけど、たいして頭良くないし、なんか村社会化してるので注意
・ほんとに信頼できる友達持つ
・もっと気楽に楽しむ
・ひたすら周りの"間違った"友達に流されてたよね。でも人間の怖いところは間違っててもそれがマジョリティなら正しいと感じてしまうことよね。当時小学生の僕には毛頭わからんかったが笑
・無理に付き合う人は別に友達でもなんでもない
・人の痛みが分かる人間になれた(実際ミスチルライブに行った親友も小学生時代にチームの監督が嫌で野球が嫌になったらしく同じ境遇ですごく運命を感じた)
これらの苦い経験も僕の人生スパイスです
最後にキラキラ写真載せて
いい感じで締めよ